月報3月号 

■■■断水した!■■■


今日は、水道管が壊れて水漏れしているため、水道やさんが修理をしている間は水道が止まってる。おまけに突然のことで汲み置きがない。
水がないと生活できない、と頭では知っていたけれど、実体験してつくづく身にしみて分かりました。
ああ、トイレしたい。でもできないので、これから図書館のトイレを借りに行ってこよう。歯も磨きたい、さっき磨いたけど、昨日新大久保の韓国料理屋に行ったので、めちゃ口くさいのだ。お茶でも飲んですっきりさせてから図書館に行こうかと思ったが、そうだ、水が出ないんだった・・・
聖書の中に「渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい」と書いてあるけれど、もし、神様が断水したらえらいことになるな、と想像した。何の予告もなく、突然水が断たれるというのは、「死ね」と言っているのと等しい。食べられないばかりか、トイレに行けないのはもっと辛い、拷問だ、地獄だ、永遠の苦しみだ。
聖書が言う、水、とは心の渇きを癒す水のことだ。体と同じように心も渇く。渇きはいろんなことをして一時しのぎできるけど、永遠に潤すことのできるのは、キリストだと言っているのだ。
本当にキリストだけなのか。それは飲んでみればすぐ分かるでしょう。キリストを知らないときに決して満たされることのなかった心の奥の奥にある不安や不満が、キリストの愛を自由に受け、飲むとき癒されました。誰にも気兼ねなく、安全性を気にすることなく、自由に飲める水、それがキリストの愛。
長くなりましたが、これから図書館に行ってきます!一時しのぎですが、帰ってくる頃には修理が完了していることを祈りつつ。

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月報2005年2月号

■■■神が黙っている、と感じるとき■■■

祈っても祈っても、神様は何もしてくれないことがある。それどころか、それについて何も言ってくれない、ヒントさえ与えてくれない、と感じる。八方ふさがり。そんな時、どうしたらいいのか、本当に迷うところです。

ドイツ語を勉強する誓いを実行するため、四谷にある日独協会主催のドイツ語講座「もう一度ドイツにふれてみませんか?」に行ってみた!
案内に「ドイツに行ったことがある方、以前勉強したのにドイツ語に触れる機会がない方」とあったので、ぴったりと思った。ところが!10人程のメンバーは、みな「ドイツに住んだことがある、こんな日本から抜け出して、また住みたいと思っている方」だったのです。
先生は、ドイツ人。ドイツ語しか話せない。ドイツで体験したあの状況が、東京の四谷の小さな部屋で再現されているわけである。

??????????? 知ってる単語 ??????? イヤーヤー????? 知っている単語 ?????????? ゲナウ ????????? ハハアハハハハハ(笑)

第1回目の授業だから、ということで自己紹介となった・・・ハンブルクに2年住んでいたおばあさん、ハープ奏者、お香を趣味にしている方、定年退職後ドイツ語を勉強し始めて2年半のおじさん・・・・
ここまで読んで「なんだ、本当は少し分かるんじゃない」と思われたかもしれない。違うのです。一人、ドイツ語ぺらぺらのおばさまで、相槌だけはなぜか日本語という方がいらしたお陰。「まあ、ハンブルクに?何年?」「まあ、ハープを、素敵」などなど。

もちろん私の順番も回ってきたけど、誰も助けてくれず、日本語で話したときは本当に惨めな気持ち。

第2回目の授業は、この相槌マダムが欠席。―――撃沈。1回目に配られた語尾変化の練習問題もマダムに通訳してもらい、先生に添削してもらおうという甘い計画は砕け散り、自分で「先週の先生にいただいた問題ですが、もう一度やったので見てください」とテレパシーを送るしかなくなった。「これ、ビッテ」通じたのか、添削が始まった。
と、突然、先生「コレハちがいますね。分離動詞ですから」
ちょっとぉ、日本語話せる?!ドイツ人顔のくせに。最初から言ってくれ!!!と声を大にして言いたかった!が飲み込んだ。

神様は時々、私のドイツ語の先生のようです。すべて知っていながら黙っていることがある。私に必至に勉強させるために。私が一人立ちできるように。でも本当は全部知っている。私が孤独を感じ、もがいていることを。そして必要に応じて相槌マダムを送ってくださる。神様は、それぞれの実力に合わせて日本語を話してくれるのです。

まだまだ続く、ドイツ語奮闘記。来月もお楽しみに!

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月報2005年1月号

■■■2005年の目標■■■

2005年の目標は、ずばり!
ドイツ語を勉強する!

あれ?韓国語勉強していたはずでは?と疑問に思われる方々、その疑問は、ごもっとも。「韓国語を勉強する」とこの月報で宣言してはや1年10ヶ月。一度も話しているところを聞いたことがない、と思われるかもしれません。はい、話せないのです。ぺ・ヨンジュンに、イ・ビョンホン、チェジウにユンソナ、こんな難しい名前をよどみなくスラスラと言えるのに、なぜ肝腎の韓国語会話の知識は素通りしてしまうのか、日本語でさえ説明できません。

昨年、9月から10月にかけて、夫の仕事の関係で、私の遊びの関係で、1ヶ月ドイツに滞在した時、われらが滞在した小さな街では、ホテルを除いてほとんど英語を話す人がおらず、非常に不自由し、孤独感を消そうとビールを飲むこともありました。魚屋で「刺身」を説明できず、スポーツクラブでワンデーチケットが買えず、コンタクトレンズを忘れたのに「検眼」までたどり着けず、降りるべきバス停で降りられず、腹が減っているのにメニューが読めない。今でも思う、あれはとっても変な夢だった・・・のでは?と。

これが日本だったら、と想像してみる・・・だれも私のことを理解してくれない、私の必要を分かってくれない、ストレスと運動不足と空腹感で、泣いたりわめいたりしたら、だれか刺身を持ってきてくれるだろうか?それは、少なくともドイツではありえない!ゲルマンたちは自立していて、肉を食っているため、私がどんなに魚が食べたいかなど理解することすらできないし、だったら肉食べようと言うに決まっているのだから。だから、あきらめずに伝えなければ、私の必要を!

腹が立つとき、コミュニケーション不足からの誤解であることがよくある。何が何でも伝えようとする忍耐と、理解しようとする心、それさえあれば乗り越えられる、とドイツで学びました。ドイツ語を話せない私が悪いのでも、日本語を理解しないゲルマンが悪いのでもない、神さまはそんな両者が理解し合うことを求めていたのです。

『マタイ5:24  供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。』

だから、私はドイツ語を勉強します!そしてゲルマンの友に「イッヒリーベディッヒ、 イエス様リーベディッヒ」と伝えたい。それに、街で会った人に「またね」と言ってきたのです。どうやって言った?詳しくは、来月号で!

それではみなさん、アニョンヒケセヨ(と、突然韓国語!!!)

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